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月潟劇場
Tsukigata Theater
月潟劇場とは?
「月潟劇場」は月潟地域でかつて営業していた映画館。
既に使用することはできないが、映写機が残っている。
ただ、最初から映画館だったわけではなく、学校や材木置き場などの変遷を経てきた。
造ったのは、かつての月潟村の村長であった青柳良太郎氏。
現在も残る緞帳には、青柳氏が組合長を務めた月潟の料亭組合がスポンサーとして名を連ねている。
アートイベント「つきのまちシアター」
photo:内藤雅子(SUNDAY photo studio)
昔
現存する登記簿によると、1939年に作られた建物です。ただ、住民の方から聞いたお話などによると、元々映画館であったわけではなく、倉庫、学校、舞台など様々な経緯を経てきた歴史のある建物であることが分かっています。
1939年 (昭和14年)
1944年頃(昭和19年頃)
1949年頃(昭和24年頃)
1953年頃(昭和28年頃)
1957年 (昭和32年)
映画館ができた
この頃には月潟地域に料亭20~30軒が営業していた
新制中学校の1、2年生校舎として使用されていた
※その当時、2階桟敷席はなかった
映画館としては営業していなかった。
材木等の物置としていた.2階に桟敷はあった
現在も月潟在住の元映写技師さんが映画館に勤め始めた年
写真は、現在も月潟在住の元映写技師 小古井保さん
今
青柳良太郎氏のご親族がオーナーとなっておりましたが、現在は使用されていませんでした。2018年に現在劇場の管理やアート展示などを行うアーティストOBIが再発見するまでは外観が廃墟に近いこともあり、人知れずにいました。
2018年
2019年
2021年
アーティストOBIによる展示を開催(水と土の芸術祭2018)
全国芝居小屋会議会員であり、文化財調査・復興をこれまで手がけてきた賀古唯義さんによる月潟劇場の歴史的・建築的な調査開始
(公益財団法人 ブルボン吉田記念財団 文化芸術・スポーツ等振興活動への助成事業)
アーティストOBIと地元団体によるイベント月潟劇場を中心として月潟地域で『つきのまつシアター』を開催。
賀古唯義さんによる月潟劇場の歴史的・建築的な調査 第2、3回。
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